坂本龍馬の直系の子孫
坂本龍馬(1836年〜1867年)の子孫はいるのでしょうか?
という素朴な疑問を抱いたことのある人は多いもの。21世紀となった現在、竜馬の子孫は生きて活躍されているのでしょうか?
結論からいうなら、直系の子孫はおられません。しかし「郷士坂本家」の子孫がおられて坂本家を継いでいます。たとえば8代目当主の坂本直行氏は「反骨の農民画家」とも呼ばれる北海道の著名な画家でした。
直系の子孫はいませんが、そもそも直接的に子孫という意味では竜馬と妻の「龍」の間にはお子さんがいませんでした。さらに龍馬と交際があったと言われる女性との間にも、子どもはいませんでした。
しかし明治の世になってみれば、坂本龍馬は偉大で明治維新に貢献した歴史上の人物となっています。そこで龍馬の没後に、坂本家を途絶えさせないように、良い意味で圧力がかかりました。
ここで系図を見てみましょう。
(画像引用元:https://ryoma.web5.jp/sakamoto/index.html )
龍馬の父は、坂本直足(八平)で、坂本八平は坂本家が武士の権利を得てから3代目でした。武士の権利、すなわち郷士株を金銭を払って手に入れて郷士坂本家が、坂本龍馬から見ると4代前に始まったことになります。
父の八平は、山本家から婿養子に入った人物でした。坂本家2代目の直澄の一人娘の幸(さち)の婿に入り、二人の間には、二男三女が生まれました。
二男三女ーー。末っ子である龍馬には、すなわち兄が一人と、3人の姉がいました。有名な「乙女」姉さんは、すぐ上の姉になります。乙女さんには子どもがなく、2番めの姉、栄(えい)も柴田作右衛門に嫁いでから離縁して坂本家に戻っており、子どもはいません。
一番上の姉、千鶴(ちず)には二人の息子がいて、息子たちが生まれた時は高松家でしたが、後に二人とも郷士坂本家を継いでいます。
郷士坂本家の人々
坂本龍馬の兄、直方(権平)は、坂本家の4代目で龍馬と年齢が22歳も離れていた人物です。この権平が後に、妹の千鶴(龍馬から見たら長姉)の息子である高松南海男を養子にして、坂本直寛として、郷士坂本家を継がせています。
また上記のように、坂本龍馬の没後に、坂本龍馬の系統が途絶えないように朝旨によって、千鶴の長男である高松太郎が「坂本直」として龍馬遺跡を継ぐことになりました。
系図を見ると、郷士坂本家として武士の資格を得た後も、坂本家は、男児にあまり恵まれないなかで、養子関係を結んでは坂本家を維持してきたことが読み取れます。
坂本権平の養子となった高松南海男、すなわち坂本直寛は権平の孫に当たる鶴井と結婚しています。
直寛(5代目)と鶴井の間には、図にあるように3人の子どもがいて、男児の直道は、坂本直の子供である直衡と(直衡の没後に)養子関係を結んで6代目の当主を務めましたが、その子である、直臣と寿美子の代で途絶えています。
展示室の入る前に会える龍馬さん。 #函館 #坂本龍馬記念館 #坂本龍馬 pic.twitter.com/U7lqW6eXl1
— 北海道坂本龍馬記念館 (@ryoma_museum) April 7, 2020
一方で直寛の娘である直意の夫、坂本弥太郎が直寛と養子関係を結んで7代当主を務めています。
そして弥太郎と直意の間に生まれたのが、坂本直行氏でした。
坂本直行氏と北海道
坂本直行(1906年〜1982年)が生まれたのは、北海道の釧路でした。土佐出身の坂本龍馬の子孫が北海道というと、意外な気もします。
しかし、北海道(蝦夷)に向かうということは、そもそも坂本龍馬が最初から意図していたことでもありました。
1864年の勝海舟の日記によると、坂本龍馬が蝦夷地に行く件について、御所も幕府の老中も了承していたことが記されています。また龍馬が暗殺される1867年には、龍馬自身が友人に向けて蝦夷地開拓への熱い思いを語っています。結果として龍馬自身の北海道行きは実現しなかったのですがーー。
さて坂本直行は、上記のように「高松南海男」が養子入りして「坂本直寛」となった直寛を祖父としています。
その直寛が1896年には「潔き義に生くる神の国を作り度く存じ候」と志を書いたように、キリスト教精神での北海道開拓を決意していました。
■龍馬の遺志を継ぐ一族③
六花亭の包装紙で有名な坂本直行。龍馬から見ると甥の孫にあたる。#坂本直行 #六花亭 #函館 #坂本龍馬 pic.twitter.com/Q8wLL2O61f— 北海道坂本龍馬記念館 (@ryoma_museum) May 13, 2019
そして1904年には、坂本直寛はキリスト教の牧師になり、直寛の長女である直意に婿入した「坂本弥太郎」が釧路で坂本商会を設立した年の翌年、1906年に釧路で坂本直行の誕生となります。
北海道に坂本龍馬記念館がある事自体驚かれることがある一方で、坂本家は、このように龍馬の頃から北海道を志しており、世代を重ねて根を下ろしてきたわけです。
ちなみに、六花亭製菓が坂本直行記念館を開いたのが1992年。北海道坂本龍馬記念館が函館に開館したのが2009年です。当館はNPO法人北海道坂本龍馬記念館実行委員会が開館したもの。
さて坂本直行氏は、現在の札幌西高校を経て、北海道大学農学部に入り(当時は北海道帝国大学)、卒業後は一旦は園芸の仕事に関わったり民有の未墾地を手に入れて開拓する一方、絵の分野でも1957年には第一回個展を開いています。
その頃に、現在の「六花亭」の社長が直行氏に絵を依頼するようになった縁で、現在も直行氏がデザインした花柄の包装紙が六花亭では使われています。
函館に戻って #坂本龍馬 記念館へ。
龍馬は倒幕による武士の失業対策で北海道への移住計画を立てていたが、池田屋事件で取りやめ、その後龍馬が暗殺(>_<)
その意思を継いで坂本家を北海道に移したのは甥で本家5代目の坂本直寛氏、六花亭の包装紙のイラストは8代目で山岳画家の坂本直行氏だそうです。 pic.twitter.com/R2D2rBmtnF— さ-けん (@kenken0708t) July 13, 2019
なお坂本直行氏は5人の息子と2人の娘に恵まれました。長男の登氏が郷士坂本家9代を務めています。坂本登氏は北海道坂本龍馬記念館の名誉顧問を務めており、現在、郷士坂本家の10代めは坂本匡弘氏となっています。
このように、坂本龍馬の子孫は、直系では途絶えた形となっているものの、郷士坂本家では現在、10代の当主が務めており、広い地域でその血筋が続いていると言えます。
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以上、坂本龍馬の子孫について、直系の子孫ではないものの郷士坂本家の子孫は現在もずっと続いており、当主10代の時代になっていることをご案内しました。