歴史大好き

歴史の一コマをわかりやすく・・とは言え、歴史は書き換えられる可能性があり謎に満ちていることが魅力と思っています。

幕末

お龍(楢崎龍)の晩年と坂本龍馬

お龍(楢崎龍)の晩年と坂本龍馬

お龍(楢崎龍)は京都で医師をしていた楢崎家の長女として生まれ、子供のころは何不自由ない生活をしていたと伝わっています。龍馬と楢崎龍が結婚したのが1865年で、1867年11月には龍馬が近江屋事件で亡くなっていますから、夫婦として生きたのは短い期間でした。

龍馬が惚れた妻、楢崎龍という人物

あの龍馬の奥さんだったことや、寺田屋事件のあと負傷した龍馬とともに鹿児島を回った旅を「日本初の新婚旅行」と言われることなど、お龍さんについて目立つポイントだけ拾い出すと、たいへん派手な足跡を残した人物のように見えます。

しかしそれは一面であり、龍馬が何をしようとしていたか、歴史上の意義等を当時は知るよしもなかったお龍さんであり、その生涯や人物像には分からないこともあり、晩年は困窮のうちに亡くなりました。

楢崎龍 (1841〜1906年)

「おりょう」さんの晩年と言う前に、まだ龍が26歳のころに龍馬は亡くなっていますから、当然ながらそれ以降の人生が長いわけです。龍馬の死後しだいに坂本龍馬という人物が世の中に知られ、幕末に大きく貢献した人物として評価されるにつれ、おそらくはお龍さん自身も驚き、坂本家の実家にもその余波が起き、直接・間接の諸々の影響下に、お龍さんは生きてきました。

龍馬が襲撃され、お龍がそれを知らせて助けたというのが慶応2年(1866年)の寺田屋事件でした。

お登勢(寺田屋の女将)と龍馬

その翌年の11月に近江屋事件が起きます。したがって二人が共に生きたのは3年くらいということになりますが、共にと言っても龍馬が大政奉還を成し遂げるために奔走していたこの期間、実質的に一緒であった日々はたいへん少なかったことでしょう。

坂本龍馬が姉への手紙に「面白い女」と書いたように、龍馬はお龍さんにぞっこん惚れていたことでしょう。あの時代に鹿児島への旅に同行させたのも、やはり大切にした女性だからーー。

龍馬亡き後のお龍さん

しかし慶応3年(1867年)11月の近江屋事件で33歳で亡くなった龍馬に対して、お龍はその後、明治39年(1906年)に66歳で亡くなるまで、当時としては長生きしています。龍馬のいないおよそ40年がありました。

近江屋事件の後、まず翌年の1868年の3月にお龍は土佐の坂本家に送られます。しかし間もなく坂本家を去ってしまったのは、乙女姉さんや義兄の権平夫婦とうまくいかなかったと言われています。実際はどうだったか分かりません。ただ、後年、乙女さんではなく権平夫婦に疎まれたという趣旨の本人の談もありました。

その後お龍さんは京都に戻りますが、生活するのは大変で、西郷隆盛や海援隊士などを頼りながらのやっとの生活でした。さらに1872年には上京し、知人の香川敬三などに世話されることに。生活のため1874年には神奈川宿の「田中家」で仲居として働いていたことが記録に残っています。

横須賀に移ってから1875年に、かねてからの知人、西村松兵衛と安岡金馬の媒酌で再婚します。この時35歳前後で、入籍したその年の前年に男児を出産しました。

ところでその【西村松兵衛】さんとは誰かと言うと、歴史上の人物というより「龍馬の妻であったお龍が再婚した相手」というわけで、小説の題材になったことはあっても、実態は想像するしかないでしょう。

結婚してからの名前は「西村ツル」さんでした。そのツルさんについて晩年はアルコール依存症等々言われており、少なくとも大酒のみであったことは確か。

結婚と晩年の間に何があったかをまとめると、以下になります。

 ・松兵衛と結婚してから自分の母「貞」を引き取った。
 ・妹の光枝の息子である「松之助」を養子とした。
 ・しかし二人とも1891年に亡くなった。
 ・明治維新後には龍馬が有名になり、妻として取材される機会も度々あった。
 ・妹の光枝が同居するようになり、松兵衛と光枝が内縁関係になり、二人でお龍と別居するようになった。

お龍さんの評判

こう見てくると、あまり幸せだったのはいえない様子です。晩年に口癖で「私は龍馬の妻だった」と言っていたともーー。再婚後に「もとの夫」のことばかり自慢されたら、それはいい気はしないでしょう。西村松兵衛さんに自慢したかは不明ながら。

しかし薄幸であったお龍のお墓を建てたのは誰かというと、松兵衛と光枝で、お龍の没後8年後の1914年でした。不倫の関係でお龍のもとを離れた二人が建てたのは罪滅ぼしでしょうか。お龍の墓には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれます。

単純に西村松兵衛が建てて「龍馬の妻」と刻んだ・・というストーリーなら、ちょっと西村松兵衛さんが気の毒ですが、経緯を考えると、まあ妥当な落ち着きどころでしょうか。

「お龍さん」について、当時を知っていた人々の証言は、あまり賛美とは言えません。というより元海援隊士の間でお龍の話題が出ると、褒め言葉はなく、むしろ素行が悪いとか、頑固等々の評価だったもよう。

親族を振り返ると、龍馬の家督を継いだ坂本直(高松太郎)でさえ、お龍さんが訪ねると追い返したようです。またお龍の妹の「起美」さんは元海援隊士の菅野覚兵衛と結婚したのですが、その覚兵衛でも、お龍さんを引き取ることはありませんでした。

坂本龍馬の子孫は今・・・ 

お龍を演じた人々

龍馬の妻という役柄は、ドラマではポイントとなりますからこれまで錚々たる女優さんたちが演じてきました。映画でいうと1970年の吉永小百合さんというのは、ぜひ見てみたい映像(『幕末』)です。上記の画像にある『竜馬の妻とその夫と愛人』は、三谷幸喜さんによるコメディー。 

また ドラマでは1968年のNHK大河ドラマでは浅丘ルリ子さんが演じました。(『竜馬がゆく』)。このあたりは観たくてもなかなか探せません。NHK大河ドラマだけに絞っても、1990年の『翔ぶが如く』では洞口依子さん、2004年の『新選組!』では麻生久美子さん、2008年の『篤姫』では市川実日子さん、2010年の『龍馬伝』では真木よう子さんでした。

大河ドラマ以外でのドラマでお龍さんを演じたのは、大谷直子さん(『竜馬がゆく』1982年)、夏目雅子さん(『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』1982年)、浅野ゆう子さん(『影の軍団・幕末編』1985年)、名取裕子さん(『坂本龍馬』1989年)、沢口靖子さん(『竜馬がゆく』1997年)、内山理名さん(『竜馬がゆく』2004年)などです。

やはり司馬遼太郎の『龍馬が行く』の存在が大きいのですが、いずれにしてもドラマ中のお龍さんは、ドラマらしく、さらに空を飛びそうです。

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