柴田勝家とお市の方は「本能寺の変」のあった1582年、清須会議に決定に従うように結婚。しかし翌、1583年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家は敗れ、お市の方ともども自害しました。夫婦であったのは1年ほどのことで、お市の娘たち浅井三姉妹は秀吉に保護されました。

年齢差25歳の結婚、お市の方は再婚
お市の方が柴田勝家のもとに嫁いだのは織田信長が本能寺の変で亡くなり、清須会議で事後について話し合われた後の、1582年のこと。
まずは年齢のことだけ着目してみます。(生没年には異説あるという件は置いておいて)
小市の方…1547年生まれ、当時35歳
柴田勝家…1522生まれ、当時60歳
当時の年齢というのは単純に引き算すると、くらいの概算ですが、ザっとみてかなりの年齢差、25歳差ではあります。
もしも、柴田勝家の生年の別説のうち最も遅い1530年生まれ説を採用するとしたら、年齢差はあと8年くらい縮まります。さらにもし、お市の方の生年に別説が用いられるようになったら年齢差も、さらに縮まる可能性はあります。
しかし、年齢差が重要なわけではありません。素朴に考えてこの二人の結婚には分からないことが多々あります。一つは、柴田勝家の正妻となったのですから、それまで勝家はどうしていたのかーー。
もう一つは、お市の方はどう思って勝家に嫁いだか。
柴田勝家、鬼の武将と言われた男
柴田勝家(1522〜1583年)
二人の結婚が決まったのは、清須会議の結果によります。二人の橋渡し役となったのは誰かと言うと、信長の三男・織田信孝が仲介したとする説がこれまで有力でした。
勝家は清須会議で織田家の後継者として信孝を推したかったけれど、権力を増した秀吉が、信長の孫の三法師を擁立し、勝家は自分の主張を譲らされた立場となった、というのが従来の清須会議のおよその解釈でした。しかしこの構図にも別の見方、三法師後継は既定路線だったという解釈も現在、広まっています。
さらに勝家とお市の方の橋渡し役云々についても、勝家の意向を汲んで秀吉が動いたという見解が現在は注目されています。その根拠は、勝家が武将の堀秀政に宛てて、1582年10月に出した書状に寄ります。
いずれにしても勝家は清須会議の後の1582年、「信長の妹」で「浅井長政の妻」であったお市の方を正妻に迎えています。その年齢まで正妻を娶らなかったことの詳細は不明で、側室についても詳しい記録はありません。ただし、勝家の庶子として「勝里」、「勝忠」の名が残っているので、お市の方以外にも何らかの女性の存在はあったことでしょう。
無念な武将でもあった柴田勝家
また勝家には姉の子とされる「柴田勝豊」、「柴田勝政」という二人の養子がいましたが、この二人は賤ヶ岳の戦いにあたり、対立関係となった後に二人とも亡くなっています。
つまりお市の方が嫁ぐまでの勝家は、「もっとも勇猛な武将」とルイス・フロイスも言ったという鬼の武将であったことは確かながら、具体的な人物像をお市の方と並べて思い浮かべるのは、どうも情報が不足しているように見えます。
しかし、勝家の意向で美しいお市の方が嫁いだのですから、お市の方も娘たちも柴田勝家から大切に扱われたことだけは確かでしょう。
柴田勝家は、当初は信長の弟の織田信勝に仕えていましたが、1556年の稲生の戦いで信長に敗れて家来となってからは、信長に心酔していたと伝えられます。「本能寺の変」が起きたその時、勝家は越後で上杉軍と戦っており、明智光秀の討伐において秀吉に先んじられてしまいます。勝家がどれほど無念であったかは想像に難くありません。
お市の方の心境は?
結婚にあたりお市の方の心境はどんなものだったでしょうか。
単純にいまふうの「気持ち」の問題でなく、当時、娘たちを抱える武家の妻としてのお市の方には、信長亡き後の不安定なこの時期、強力な庇護者が必要だったことでしょう。
そして信長の側近の筆頭ともいえた柴田勝家は、秀吉を嫌っていたとされるお市の方から見れば、最も頼るべき相手だったかもしれません。
柴田神社の境内にある像を見ても、柴田勝家はなんとも豪傑で武骨な印象です。60過ぎまでの勝家の人生には緒戦のエピソードがゴマンと語られています。しかし諸事情の末とはいえ、お市の方を「正妻」として迎えることができて、勝手な想像ながら、勝家にとって眩しいような奥さんだったことでしょう。
柴田神社は、訪ねる方も多く、福井市内の中心部にあります。
柴田神社:福井県福井市中央1-21-17
お市の方が嫁いでいくにあたって勝家は、浅井三姉妹にすればまさに「新しい父親」です。ドラマ内での話ですが、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」では、絶妙な葛藤の末に、江たちにとって柴田勝家が以前から好印象を持たれていたように頼もしく描かれました。
ちなみに演じた人は、NHK大河ドラマでは、2011年の『江〜姫たちの戦国〜』では大地康雄さん、2014年『軍師官兵衛』では近藤芳正さん、2020年の『麒麟がくる』では安藤政信さんになっています。これまでの無骨なイメージと、安藤さんの勝家は一味ちがうようですが。
しかし期間として、勝家とお市の方の結婚生活は一年もないような短いものでした。そうです。北ノ庄城落城に伴う小市の方と勝家の自決で二人の生涯は終わってしまいます。
この時、もはや城を離れることなく勝家と運命を共にしたお市の心情は如何なるものかーー。現代人が想像しても的外れになるかもしれません。何れにしても三姉妹を秀吉に託し、その血統を残してくれるように、お市の方は計らいました。
1583年、ついに勝家は賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉に敗れました。お市の方は、これ以上、生き延びることを良しとしませんでした。
以上、還暦を過ぎていた柴田勝家と、30代半ばの美しい女性、お市の方の再婚について見てみました。信長の頼もしい側近として活躍した勝家は、すでに戦歴を重ねた結果の年齢で最期を飾ったと言えないこともありませんが、まだまだこれからの人生だったお市の方の選んだ最期は、じつに衝撃的でした。