彦根城は、石田三成に代わって佐和山城に入った井伊直政が城を好まなかったことから、1603年、直政の没後に天下普請で築き始めた名城。彦根藩32万石として江戸時代の藩政を担ってきました。姫路城との相違点を強調しながら、世界遺産登録も期待されています。

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井伊家の居城
安土城(安土城、初めての天守閣?の謎が魅力的な城)が築城されたのは1576年のことでした。その後、本能寺の変で信長が亡くなり、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成が敗れました。その関ヶ原で功績のあった一人が井伊直政。
井伊直政は徳川方での軍功が評価され、石田三成の居城であった佐和山城に入り、佐和山藩18万石を与えられました。佐和山城も大変優れた城郭でしたが、直政は佐和山城を好まなかったとのこと。
さらに1602年には、井伊直政が戦による大怪我が元で享年42で亡くなり、井伊家の家督は井伊直継が継ぎました。幼少の直継に配慮し、さらに直政の遺志を尊重して1603年、彦根山にあらたに築城が開始されたのが彦根城です。
井伊直継が入城したのが1606年。さらに大阪の陣のあと、彦根城が完成したのが1622年となります。その後、彦根藩は32万石にまで大きな藩となり、幕末に大老を務めた井伊直弼まで続きました。
彦根城の特色は、築城の開始がおよそ「江戸時代」であったことに拠ります。すなわち豊臣家の滅亡(大阪の陣)という大きな事変はあったものの、江戸幕府が1603年からという説に従えば徳川家の絶対支配の安定政権の時代に築かれた城、となります。
すなわち、以下の特徴があります。
・軍事拠点でありながら、実質は軍事の必要はなかった
・天下普請であり、10数名の大名が協力した
・年貢米の保管などのため、天守や櫓は倉庫等として用いられた
そしていわゆる「戦」が起きなかったため、実際は城が軍事に使われることはなく、城は長年、無事に保たれてきたことで「天守が国宝指定された5城」の一つとなっています。
ご存知のように5城の代表的存在が姫路城で世界遺産に登録されています。他にも松本城、松江城、犬山城の天守閣が国宝となっています。
彦根城行ってました(゚ω゚)ノ☆︎ pic.twitter.com/Vdh25snDT0
— せんぷうき。🐴 (@sempuuuuki25) June 21, 2020
彦根城 天守閣🏯⭐️
— 山ちゃんBOLT (@arakamizan) June 20, 2020
孫ちゃん連れて家族サービス🥰
おバイクチケットGET 頑張ります。お昼ぐらいからおバイクします🤗
天守閣入場 コロナ対応しっかりされています(検温あり) pic.twitter.com/Lbl45De3cN
井伊直政の前に、井伊家の当主となったのが次郎法師「井伊直虎」とされています。『おんな城主 直虎』では直政を菅田将暉さんが演じ、直虎のあとドラマの後半のような比重で直政が描かれました。
彦根城と世界遺産登録
彦根城は、世界遺産登録を目指しています。暫定リストに掲載されたのが1992年。
2022年の登録審査を目指しており、2020年3月には推薦書原案を文化庁に提出しています。
すなわち2024年の登録を目指しており、2018年にはイコモスの「城塞・軍事遺産国際学術委員会」を招聘しての国際会議を開催しました。
私 彦根城を世界遺産にと
— おうみzin (@zin33700953) May 10, 2020
以前から聞いてますが
琵琶湖も合わせて
登録してほしいです
富士山がなっているのに、
琵琶湖は有名な古代湖です
彦根城、竹生島、沖島、多景島
日本=富士山=琵琶湖
ぜひぜひ世界遺産登録を🙇🌿#琵琶湖 #彦根城 #世界遺産登録
彦根城天守。
— 🍬光一🍬 (@ko_chan0814) November 28, 2019
紅葉が綺麗でした。
彦根市街が一望出来て、当然琵琶湖も見えました。
世界遺産にも登録されたらいいなぁ。 pic.twitter.com/xrMo98kkXs
観光地としての彦根城
彦根城については「ひこにゃん」があまりに有名ですが、井伊直政に縁のある白猫をモデルとしているそうです。
ひこにゃんが生まれたのは、「国宝・彦根城築城400年祭」のあった2007年のこと。個人的には会ったことはありませんが、何故か映像でかなり見かけるような気がします。
バイクで行ってきたよ!彦根城🏯
— ユウ@ポケGO復帰勢 (@pokemiso1) June 21, 2020
※友人に写真撮影してもらいました😆 pic.twitter.com/qN7raFHIGf
ところで、彦根城の所在地は滋賀県彦根市金亀町1−1ですが、地図を広範囲で見ると、今さらながら、小谷城址、実宰院、長浜城址、彦根城、安土城址が縦に並んでいます。
また、井伊直政が好まなかったという佐和山城址も、彦根城からは近くに見えています。
優れた築城で、他の城からの移築部分もあると考えるとますます、貴重な城です。佐和山城については、今さらながら石田三成の悲哀も思い出されます。