「 戦国時代 」 一覧
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-戦国時代
信長の遺体は「本能寺の変」のあと、発見されていません。「天下人」にもう間近だった信長を撃ったのですから、明智光秀は本来、首を晒してその事実を早急に世に示すはずでした。 しかし、よく知られるように信長の …
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柴田勝家と妻のお市の方は賤ヶ岳の合戦後、北の庄城も取り囲まれ、夜には酒宴を催し、娘たち浅井三姉妹を秀吉のもとに送り出し、二人は自害して果てました。もはや城からの脱出を拒み、勝家と死をともにしたお市の方 …
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柴田勝家とお市の方は「本能寺の変」のあった1582年、清須会議に決定に従うように結婚。しかし翌、1583年には賤ヶ岳の戦いで柴田勝家は敗れ、お市の方ともども自害しました。夫婦であったのは1年ほどのこと …
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築山殿事件とは徳川家康の正室であった築山殿(瀬名姫)が、1579年、織田信長の命令で息子の信康とともに殺害された事件。信長の娘の徳姫が、家康と築山殿の長男、信康と結婚し、徳姫が信康と築山殿を悪者として …
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信長の妹、お市の方は、戦国の世で浅井長政の妻となって長政自害の時に救い出され、本能寺の変、清須会議を経て柴田勝家の妻となり、勝家とともに自害という劇的な生涯を送りました。その子孫は現在の皇室にまで繋が …
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実宰院とは、滋賀県の長浜市にある曹洞宗の寺院で、浅井長政の腹違いの姉、昌安見久尼が開いたとされる寺。織田信長軍の攻撃を受けて逃れた長政の妻、お市の方と三人の姉妹たちは、小谷城の建つ小谷山から実宰院に逃 …
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浅井家が滅んだ時の戦国武将、浅井長政は、織田信長と一旦は盟友関係でしたが、最後は信長に攻められて亡くなりました。信長の妹のお市が長政に嫁ぎ、二人の間の3人の娘たちが浅井家滅亡の際に信長側に引き取られた …
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明智光秀の妻、明智煕子(ひろこ)は、歴史上の反逆者のように見られてきた夫の「本能寺の変」ゆえに、注目もされるながら、不明な点が多い人物です。一方で娘の細川ガラシャの母としても知られ、どんな生き方をして …
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大谷吉継と石田三成の関係はいかなるものだったかーー 石田三成は関ヶ原の戦いで西軍の代表的な武将、そして敗軍の将として処刑されたことで知られています。一方で、ともに関ヶ原の戦いで敗れた武将、しかも異彩を …
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足利義昭は、シンプルに言えは足利幕府最後の将軍。15代将軍に就任後、支えてくれた信長と対立し、一時は信長を包囲した後にその包囲網は崩され、ついには京から追放されました。将軍を辞めた後、晩年は秀吉の配下 …