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歴史の一コマをわかりやすく・・とは言え、歴史は書き換えられる可能性があり謎に満ちていることが魅力と思っています。

戦国時代

明智光秀の妻、煕子(妻木ひろこ)とは?

明智光秀の妻、煕子(妻木ひろこ)とは?

明智光秀の妻、明智煕子(ひろこ)は、歴史上の反逆者のように見られてきた夫の「本能寺の変」ゆえに、注目もされるながら、不明な点が多い人物です。一方で娘の細川ガラシャの母としても知られ、どんな生き方をしていたのか、興味深い女性です。

謎の多い明智煕子の生涯

明智光秀の妻、明智煕子(ひろこ)は、妻木範煕の娘とされ、1530年に生まれたと考えられています。父は妻木広忠という説もあり、妻木範煕と妻木広忠は同一人物という説もあり、言ってしまえば親が誰かもよく分からないわけです。

真相が不明な理由は、定番ながらどの資料を信頼するかに寄ります。光秀の亡き後に成立した「明智軍記」を根拠にすると、やはり確定できない要素が高まるようです。いずれにしても妻木家は、明智家と同じく、美濃国の守護であった土岐氏にルーツを持つ一族とされ、2020年のNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』では、明智光秀と煕子とは、親戚のような近い立場で、幼馴染のように描かれました。

しかし当時の女性のことですから、そもそも「ひろこさん」と呼ばれていたはずはありません。明智煕子が歴史上で知られてきたのは、むしろ娘の故でした。娘として、当時の女性としては圧倒的に名前が知られることになった細川ガラシャがいて、そのガラシャ(玉さん)の母という立場から、しだいに歴史に名前が刻まれたきた妻木(明智)煕子です。

ちなみに、2006年の大河ドラマ『功名が辻』に出てきた「明智光秀の妻」の名前は槇(まき)さんで、演じたのは烏丸せつこさん。この時の名前は、以前にこの女性に用いられていた「お牧の方」に由来すると考えられます。

しかし現在では「お牧の方」は光秀の、むしろ母であったと考えられており、『麒麟がくる』ではお牧の方は母でキャストは石川さゆりさん。ところが、と言うか更にと言うか、明智光秀の生涯も不明な点があまりに多いのですから、「母親のお牧さん」(?)については、いよいよ詳細は不明です。

余談ながら烏丸せつこさんが、2020年の朝ドラ『スカーレット』に登場した時は、「懐かしい」等々の視聴者の感想が挙がったようです。

光秀と煕子の結婚と最期

さて明智煕子の生涯に戻ります。

煕子(かつての「まき」)の結婚の時期は明確でないものの、その前後の逸話が残っています。

1つは結婚前に疱瘡(天然痘)に罹ってしまい、美しかった顔に痕が残ってしまったこと。しかし明智光秀は、自分が妻とする人と決めたのだからと、ためらわず妻に迎え入れ夫婦仲は良かったとされます。煕子の父が、よく似ていた妹を煕子の身代わりに嫁がせようとしたが、光秀はそれを見破ってあえて煕子を妻として迎えたという話も伝わっています。

もう1つの逸話は、光秀が明智城から越前に落ち延びていく時に煕子はすでに身重で、光秀は妻を背負って越前に向かったということ。1556年、長良川の戦いで斎藤道三が息子の斎藤義龍に敗れたあと、光秀は越前に逃れていったわけで、その当時の話です。この逸話通りだとすると、その少々前にあたる時期、1550年代あたり(?)に二人が結婚していたということになりそうです。

その後1568年、明智光秀は足利義昭を奉じて都に上りますから、煕子も上洛したことでしょう。

明智煕子の没年については、1576年ころに明智光秀を懸命に看病した末に、病死したという説があります。ついでながらその死後に、煕子の妹が光秀のために後妻に入ったという説もーー。

一方で、本能寺の変の年まで生きており、明智一族が坂本城にて秀吉方の大軍に包囲された時に、明智左馬助が城に火をかけ、煕子も、ともに自害したという説もあります。

つまり、あえて煕子の生没年を表すと、
1530(?)年〜1576年(または1582?)年 となりますが、あくまでも推定。

そもそも明智光秀も、亡くなったのは本能寺の変の1582年で明らかですが、生年については1528年、1516年、1540年など諸説あります。したがって二人がどういう年齢関係にあったか、それぞれを想像すると興味深いことではありますが、よく分かりません。光秀の1528年説であれば、そして煕子が1530年生まれであれば年も近い夫婦ですが、1516年なら14歳ほど夫が年上。1540年説なら煕子が10歳年上となります。

光秀は、ほんとうに煕子一筋だったのか?

さらにダラダラと分からない点を並べていますが、3男4女という二人の子供たちは、本当に皆、煕子の子供なのか・・という点です。

上記のように娘の一人が玉(たま)さん(or玉子)で、後に細川忠興に嫁いだことで細川ガラシャと呼ばれています。細川家の細川藤孝は明智光秀を助ける役どころで、その嫡男である細川忠興と、明智光秀の娘、玉がいわば両家のために結婚することになります。

その玉については、『細川家記』に残された記録から、煕子の娘であることは確かだろうとされています。しかし光秀の3男4女、7人の子供たちの詳細は、どちらに嫁いだ等々は個々に分かっても、母親が誰かまでは分からない、というよりは異論もある、という状態。

愛妻家として一人の妻、煕子(ひろこ)を愛し抜いた武将、明智光秀というと物語としては素晴らしいのですが、煕子の病気の回復とも見える記録と、亡くなった記録の日時との不自然さなどを根拠として、じつは明智光秀の妻は一人ではなかった・・・という見解もあります。

光秀の妻の逸話として有名なのは、客人接待を任された時に、光秀にお金がないので妻の煕子が自分の黒髪を売って資金を作ったという話です。

2020年、長谷川博己による明智光秀の『麒麟がくる』では、妻の煕子(木村文乃)は、結婚前に顔に疱瘡の跡ができた逸話もありませんでした。すでに5月17日の放映で、煕子は自分の帯を質に売ってお金を作る場面がありましたが、髪を売る話はこれからの展開で出てくるでしょうか。それとも、髪の代わりが帯ということで、すでにドラマに織り込み済みということでしょうか。

『麒麟がくる』では登場する信長もある意味、ユニークです。染谷将太さんの演じる織田信長は、顔が丸顔で独自路線を行っているドラマだと言われています。「光秀の妻」という存在は、かなり比重が大きいもの。木村文乃さんによる妻が、どのように夫を助けどんな最期を迎えるか、ドラマとはいえたいへん興味深いところです。

これまで煕子を演じた女優たち

妻木煕子(明智煕子)という人物は、歴史上のドラマでヒロインになるということはないのですが、しかし「本能寺の変」なくしては戦国時代は描かれないように、種々の歴史小説や映画等に、登場する人物です。

ただし、くどいですが劇中で、煕子と呼ばれてはいないでしょう。

これまで映画やドラマで煕子を演じてきたのは、1960年代の『敵は本能寺にあり』の淡路千景さん、1970年代では『国盗り物語』の中野良子さんなど、女優さんにもまさに「歴史」を感じます。

NHKの大河ドラマだけ見ると以下となり、意外と少ないです。

1996年『秀吉』 有森也実さん
2006年『功名が辻』烏丸せつこさん
2020年『麒麟がくる』木村文乃さん

以下も興味深い作品

2005年『国盗り物語』酒井法子さん
2007年『明智光秀〜神に愛されなかった男〜』長澤まさみさん

反逆者のイメージが強かった明智光秀。そしてその妻、煕子という絶妙な存在ですが、2020年は新たにスポットを浴びています。個人的には『麒麟がくる』については、主役は光秀なのでやはり妻の煕子は通説通り、光秀に献身的に尽くして看病した後に、先に亡くなるのかと予想していますがどうでしょう。

歴史上の事象は、資料の再発見や再考察で「説」も変化するし、一般人の感覚としてあらためて親しみの湧いてくる人物などもいます。煕子さんはそういう一人かもしれません。

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